聖徳太子の妻たちの素顔とは?飛鳥時代の女性の活躍を知る

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4人の妻たち

聖徳太子には4人の妻がいました。それぞれの妻とその人物像は以下の通りです。

  • 菟道貝蛸皇女(うじのかいだこのひめみこ):
    推古天皇の娘で、聖徳太子の叔母にあたります。太子との間には子はいませんでした。太子の仏教興隆に協力し、法隆寺の建立にも関わりました。
  • 刀自古郎女(とじこのいらつめ):
    蘇我馬子の娘で、蘇我蝦夷の妹です。太子との間には長男の山背大兄王をはじめとする4人の子がありました。山背大兄王は後に蘇我入鹿と対立し、一族とともに自害しました。
  • 膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ):
    膳氏の娘で、太子の妻の中で最も多くの子を産みました。太子との間には8人の子がありました。太子と同じ日に病に倒れ、太子の死の前日に亡くなりました。
  • 橘大郎女(たちばなのおおいらつめ):
    推古天皇の孫で、太子の従妹にあたります。太子との間には子はいませんでした。太子の死後、太子が極楽往生した姿を見たいと願い、天寿国曼荼羅繍帳を作らせました。

これらの妻たちは、太子の政治や仏教に対する理解者であり、支えとなった女性たちでした。太子の死後も、太子の遺志を継いだり、太子を慕ったりする姿が史料に残っています。太子の妻たちは、飛鳥時代の女性の活躍を示す例とも言えるでしょう。