Mr.Children『Again』が描くSNS時代の消耗――歌詞から読み解く現代人の虚無

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Mr.Childrenの新曲『Again』は、派手な言葉や強い怒りをぶつける楽曲ではありません。しかし聴き進めるほどに、現代を生きる私たちの心を静かに、しかし確実にえぐってきます。
特に印象的なのが、次のフレーズです。
- すり減らすだけ
- 塗りつぶすだけ
- 空っぽになるだけ
- 虚しくなるだけ
- 繰り返すだけ
そして、胸に刺さる問い。
「笑っていた自分はあったっけ」
本記事では、これらの歌詞を軸にしながら、『Again』が私たちに突きつけるメッセージ、そしてSNS・ネット社会に生きる現代人の「消耗」について考察します。
「〜だけ」が示す、出口のない消耗
『Again』の歌詞で際立っているのは、行動や状態を表す言葉がすべて「〜だけ」で終わる点です。
「すり減らす」「塗りつぶす」「繰り返す」——本来であれば、何かを生み出し、前に進んでいるようにも聞こえる動詞です。しかし、それらはすべて「だけ」と限定され、結果や希望に結びつく余地が与えられていません。
これは、
- 忙しく動いているのに満たされない
- 発信しているのに虚しい
- 繋がっているはずなのに孤独
という、現代的な感覚を極限まで削ぎ落とした表現だと言えるでしょう。
SNSやネットの世界では、私たちは常に何かを「して」います。しかし、その先に残るのは、達成感よりも疲労感であることが多い。その実感が、「〜だけ」という言葉の連続によって強調されています。
「塗りつぶすだけ」に込められた現代性
中でも「塗りつぶすだけ」という表現は、非常に象徴的です。
塗りつぶすとは、本来そこにあったものを覆い隠す行為です。
- タイムラインを情報で塗りつぶす
- 予定を埋めて静寂を避ける
- 刺激で不安や虚無を上書きする
現代社会は、「考えなくて済む時間」を無限に供給してくれます。その代償として、私たちは自分自身の感情や疑問と向き合う機会を失っていく。
『Again』は、この“無意識の回避”を、穏やかな言葉で的確に描写しています。
「笑っていた自分はあったっけ」という喪失
この一節が多くの人の心を掴む理由は、そこに明確な断定がないからです。
「今は笑っていない」ではなく、 「本当に笑っていた記憶が曖昧になっている」
という、より深い喪失が表現されています。
SNSには笑顔の写真や楽しそうな投稿が溢れています。しかしそれらは、
- 切り取られた瞬間
- 演出された幸福
- 比較のための笑顔
であることが少なくありません。その中で、自分自身の“実感としての笑い”は、静かに薄れていく。
だからこそ、この問いは現在形ではなく、過去形で投げかけられるのです。
タイトル『Again』が示す二重の意味
『Again』というタイトルには、二つの解釈が重なっているように思えます。
- 消耗のループとしての「もう一度」
- 本当の自分に立ち返るための「もう一度」
同じ日常を繰り返すのか、それとも立ち止まり、取り戻すのか。
この曲は、どちらが正解かを提示しません。選択は、聴き手一人ひとりに委ねられています。
Mr.Childrenが今、この曲で描いたもの
Mr.Childrenはこれまでも、希望と諦念、個人と社会の間を描き続けてきました。しかし『Again』では、怒りや叫びではなく、
もう疲れてしまった心
を、淡々と、静かに描いています。
だからこそ、この曲は大きな主張をしない代わりに、多くの人の内側にある「言葉にできなかった違和感」を正確に言語化しているのです。
おわりに:この曲が問いかけていること
『Again』は、
- 頑張れとも言わず
- 逃げろとも言わず
- 希望を押し付けもしない
ただ、私たちに問いを残します。
自分は今、何をすり減らし、何を塗りつぶして生きているのか。
この問いに向き合うこと自体が、もしかすると「Again」の本当の始まりなのかもしれません。
SNSやネットに疲れを感じている人ほど、この曲は静かに、深く響くはずです。

